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テツの多言語習得への道のり(その五:23−29才)

2010年3月9日火曜日

前回の記事でも言いましたが、僕は大学でドイツ語とイタリア語を勉強したあと、やっぱりよく知っている英語、フランス語、日本語、北京語とスペイン語に集中する事に決めた。

マギル大学を卒業し、僕は23才でケベックシティーのラバール大学の大学院で細胞学・分子生物学の研究を始める。大学そのものはフレンチなのですが、偶然見つけた先生は日本人でした。この出会いは意外なとこで僕の勉強とキャリアを左右するのです。まず、先生は恐らく日本語でお話しできる事が嬉しかったと思う。だから、すぐに信頼も得られ、オープンな関係が築けた。また、全然経験不足の僕でも、よく英語の校正を頼まれるため、投稿前の論文や研究費の申請書など、ありとあらゆる書類を見る事が出来た。この経験は、最悪だった僕の文章力を大きく進歩させた。そして、長い面でも、僕は先生のネットワークのお陰で、日本でキャリアを始める事になった。日本での生活に関しては、次の記事でお話しするね。



ケベックの学生生活に戻りますが、院生になるという事は、貧乏な生活がもう数年続く事を意味する。だから、僕は言語力を使って、アルバイトをする事にした。その一つは英会話の先生です(なんせケベックシティーですから、英語喋れない人がほとんど)。授業の時、僕はまず学校に行って、教材をとってから、生徒さんたちのとこに行くのです。勿論、大した収入にはならなかったけど、少し生活費のプラスになった上、楽しい経験が出来た。この学校は教科書を使わず、全てその場で学生に会話させるのと、ゲームをさせるのだ。学校には様々なゲームがあったし、各先生のスタイルに任せて、好きにレッスンのデザインを作らせる。この経験によって、教科書なしで言葉を教えることを学べた。

実は英会話先生よりも遥かに時給の高い仕事もやってた。それはたまに入ってくる通訳の仕事。ほとんどが大手会社のミーティングの通訳だった。特に、日本の会社。なかでも、特に思い出深い仕事は、一週間ドミニカ共和国に行った出張です。あの時、僕だけがケベックから呼ばれて、クライアントの方々はフランスからのチョコレート会社、日本の森永製菓、そして地元のココア農園。通訳した言葉は日本語、スペイン語、フランス語、英語。あれは本当に楽しい仕事だったよ!グループと一緒に色んな観光地にまで行かせてもらったり、美味しいものを食べさせてもらったり、それもお金を稼ぎながら!最高でしょう!?勿論、お金が全てではない。僕は、他にもボランティアでも色んな通訳活動をした。国際ビジネスカンファレンスとか、スポーツのイベント、など。

ラバール大学での学生生活の中で、一番良かったのはやっぱり寮生活。当時の部屋の家賃は200カナダドル位で、小さくて、電話ボックスの中に住んでいたみたいだった。でも、部屋の中には小型冷蔵庫、レンジ、テレビ、ベッド、椅子、机、流し、クローゼット、引き出し、本棚、本、そしてなんと、キーボード、ギター、あげくの果てには、ローランドのエレキドラムまで!凄いでしょう?あと、運のいい(か悪いか分からないが)事に、寮の隣のビルの中にはパブがあった!自分のリビングみたいに使わせてもらったよ!それも、隣のビルだから、地下道で繋がってて、真冬の−30度でも、Tシャツ一枚!勿論、飲酒運転もあり得ない。たっぷり飲酒だけ

寮生活の醍醐味は勿論、人とのつながり。世界中から学生が集まって来るので、本当に楽しかった。中にも、ラテン系の学生がいっぱいいて、スペイン語の練習にはもってこいの環境だった。当たり前だけど、だ〜れも時間を取って、僕にガチガチなスペイン語文法を教えてくれた訳ではない。彼らは、僕を仲間に入れてくれて、一緒にお(夜?)遊びしながら、普段の生活上で使う「喋る」スペイン語を教えてくれた。まあ、またもアルコールの貢献もあったかもしれないが、、、あ〜、楽しい思い出だ。パロマ!ニコ!みんな元気してる?!?!

ニコと言えば、ペルーのお友達。彼は実家のリマに誘ってくれて、僕は研究室の友達二人をつれて一緒に行った。マチュピチュも見たし、アマゾンでピラニアだらけの川で泳いでみたり、一生忘れない経験だよ。

最後に、もう一つ別の旅のお話をしたい。それは大親友のグレッグとブラジルに行った時の話。親友、ブラジル美女カーニバル、誕生日、すべてパーフェクト。僕もグレッグも行く前に少しだけポルトガル語を勉強してから行ったので、到着次第現地の人たちと喋りまくった。ホテルの受付、ウェーター、タクシーのあんちゃん、とにかく誰とでもお話しをした。色んな人と仲良くしてもらって、学生寮にまで入れてもらった!ブラジルの学生たちはパーティーのプロだよ。

ポルトガル語って、書き出すとスペイン語に凄く似ているけど、発音は相当違う。でも、発音と文法の両方ともスペイン語との違いにパターンがあるので、そこにだけ集中しておぼえれば、すぐにある程度話せるようになる。実際に僕らも2週間でそこそこ話せるようになった。ポルトガル語は、僕が少しだけでも話せると思うレベルまで学習した最後の言語となる。

以上、僕がケベックシティーにいた5年間のお話でした。一瞬のようだった。僕は29才の誕生日の3日前に博士論文の発表をした。タイトルは「The Role of Poly(ADP-Ribose) Polymerase in DNA Repair and Transcription」。フランス語の演説、英語の発表資料、日本人の先生。面白いでしょう?

その数ヶ月後、僕はポスドク(Post-doctoral fellow)として、日本の東京工業大学に行く事になる。


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1 comments:

Frank さんのコメント...

Frank was here.

good job, belle job, chanto dekitane :-)

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